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異常事態を利用して牛丼一本から脱却(日本はやっぱり現場力)
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- 1980年の会社更正法申請。そして2004年から約2年半は、BSE(牛海綿状脳症、狂牛病)発生による米国産牛肉の輸入停止に伴い、牛丼販売が中止に追い込まれた。 100年かけて味を磨き上げてきた牛丼を売ることができなくなっても、吉野家は現場の奮闘によって見事に立ち直り、2008年2月期決算では、国内牛丼関連事業で増収増益を達成した。 2007年10月、現場のオペレーションの強みを生かして攻めの店舗展開を進める吉野家の社長に就任したのが出射孝次郎氏。牛丼販売中止期間には、新メニュー開発のために1日5食を試し、「毎日が戦争だった」と語る出射氏に話を聞いた。 (聞き手は、日経ビジネス オンライン編集長 廣松 隆志) (前編「“うまい、やすい、はやい”の先も利益率追求」から読む) ── 社長は日本全国の現場に顔を出されるのですか。

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