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「年俸制がホンダを窮地から救った」(嫌われ成果主義の逆襲)
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- 世界同時不況の影響でトヨタ自動車を筆頭にライバルメーカーが軒並み赤字に転落する中、黒字を堅持したホンダ。その同社も、バブル崩壊後の1990年代前半に経営不振に陥り、他社の後塵を拝したことがある。 この苦境からホンダが抜け出す1つのきっかけとなったのが、1992年6月に4000人もの管理職に一斉に導入した成果主義型の年俸制だった。 日本企業の多くで成果主義の導入が失敗に終わったとも言われる中、同社は成果主義を生かして危機を脱し、その後も制度に修正を加えて進化させてきた。その軌跡を曽田浩取締役管理本部長が語る。 ホンダが管理職に年俸制を導入して、管理職1人ひとりの目標に対する達成度を問う形に大きく舵を切ったのは、1992年6月のことです。
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