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「これくらいでおたおたするな。景気をさざ波で見てはいかん」若手vs泥亀、山下汽船大分裂!(泥亀サバイバル〜金ぴか偉人伝・2)
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- 1929年10月のウォール街の株大暴落が世界恐慌の始まりだとは、ほとんどの経済人が気づいていなかった。 日本の財政当局者たちは「アメリカの景気がクールダウンするのもいいだろう。金利が低くなって借款をとりつけるのに好都合」といった反応を示した。 だが、瞬く間に大嵐が襲来する。 翌年1月、浜口雄幸内閣は大蔵大臣・井上準之助の強いリーダーシップによって、「金輸出解禁−金本位制への復帰」を断行した。 これは、実質的には2割ちかくの「円切り上げ」を伴う荒療治だった。井上は、ふくれあがった無駄を緊縮財政でそぎ落とし、スパルタ式に日本経済を鍛えなおそうともくろんだ。 暴風雨を日本に呼び込んだ金解禁 しかし円切り上げは、世界経済の嵐のなかで家の窓や戸を開け放つに等しかった。
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