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耳学問で賢くなる人、ダメになる人(泥亀サバイバル〜金ぴか偉人伝・2)
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- (イラスト:茂本ヒデキチ) (前回から読む) 日露戦後の株価大暴落で、山下亀三郎はスッテンテンになった。 愛着のある横浜を引き払い、ひとまず東京に居を構え、再出発を図る。 「菱形償却法」という独特の方法で債務返済に着手した。これは、当初、小額を返し、会社の利益が増えるにつれて返済額も菱形に膨らんでいくというもの。山下は、債権者を説得して回り、同意をとりつけた。 冷静になってみれば、株では失敗したが、船の商売は軌道に乗りつつあった。亀三郎は、改めて海運で生きる決心する。 1911年、資本金10万円で「山下汽船合名会社」を立ち上げた。海運最大手の日本郵船の資本金と比べると、じつに百分の一以下なのだが、ともかく、正式に船会社を興したのである。
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