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フランソワ・コティ
フランソワ・コティ(François Coty, 1874年5月3日 - 1934年7月25日)は、フランスの香水商・実業家・富豪。右翼のスポンサーとしても著名。
コルシカ島出身。1900年にパリに出て政治家の秘書となるも友人の薬剤師を通じて香水の知識と調香を学び、自らの母の旧姓に由来してコティ社を創立。化学者のレイモン・コレリーの助力を得て、フランスでも香水のメッカとして名高かったグラース産の香水の製造・販売を始める。ルネ・ラリックデザインのガラス瓶に収められた香水は、瞬く間に人気を博しコティは巨万の富を得ることになる。
香水の成功で得た資金を元に、1922年に保守系の新聞として有名だった『フィガロ』を買収。第一次世界大戦後フランスを席巻していた国粋主義・反ドイツ論調を前面に押し出した。更に1928年には労働者向けの大衆紙として、『人民の友』(L'Ami du peuple) を創刊。安価な購読料と右翼的主張に加えて反ユダヤ主義・ファシズムを扇情的に鼓舞し、世界大恐慌やスタヴィスキー事件で第三共和政への失望が広まる中で多くの部数を売り上げた。
さらにアクション・フランセーズやクロア・ド・フー、フェソー党などフランスの主だった右翼団体に資金援助を行い、自らも1933年に上院議員選挙に打って出て当選を果たしている(直後に選挙違反で失格)。その後自らフランス連帯団を組織、スタヴィスキー事件による共和制打倒を目指す動きに加わるものの1934年に死去する。
外部リンク
- コティ社サイト
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